第79回
任契第七十九
2019.03.29更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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任契第七十九
79 天は常に善人の味方である
【現代語訳】
大きな怨みごとを和解させても、必ず怨みは後まで残るものだ。どうしてそのようにすることが善いことだといえようか。
こうして「道」と一体となっている聖人は、もし、何かを貸したとしても、それを督促して取り立てるようなことはしない。徳のある者は、貸すことのほうに重きを置き、徳のない者は取り立てるほうに重きを置く。
天の「道」は特定の人をえこひいきなどしなくて、いつでも善人の味方である。
【読み下し文】
大怨(たいえん)を和(わ)すれば、必(かなら)ず余怨(よえん)有(あ)り。安(いずく)んぞ以(もっ)て善(ぜん)と為(な)すべけんや。
是(ここ)を以(もっ)て聖人(せいじん)は、左契(さけい)(※)を執(と)りて、而(しか)も人(ひと)を責(せ)めず。徳(とく)あるものは契(けい)を司(つかさど)り、徳(とく)無(な)きものは徹(てつ)を司(つかさど)る(※)。
天道(てんどう)は親(しん)無(な)し、常(つね)に善人(ぜんにん)に与(くみ)す(※)。
- (※)左契……手形として用いる割り符の左半分のこと。左半分を貸し手が持ち、右半分を借り手が持った。だから「左契を執る」とは、何かを貸し与えることを意味する。
- (※)徹を司る……「徹」とは周代の税法。十分の一税。『論語』の顔淵第十二参照。ここで「徹を司る」とは、取り立てることを意味していると解する。
- (※)天道は親無し、常に善人に与す……「天網恢恢疎にして漏らさず」(任爲第七十三)と同じくことわざとして有名。時間はかかるかもしれないが、長い目で見れば、天は善人に味方するものであるという老子の信念の一つ。なお、「昜経」の「積善の家には必ず余慶(よけい)あり、積不善の家には必ず余殃(よおう)あり」もこれに近い思想である。
【原文】
任契第七十九
和大怨、必有餘怨、安可以爲善。
是以聖人執左契、而不責於人。有德司契、無德司徹。
天道無親、常與善人。
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